clothingfoodlivings’s diary

どこかの街の大学生の、ひとりごと。

ハナビ

ずっと思ってた。

なんで人は、暑いのにわざわざ浴衣を着たり(別に特別涼しくなるってわけでもない)、

人混みに疲れるとわかっているのに満員の電車に乗り込み、

花火大会というイベントに出かけていくのかと。

だけど、今日実際それを両方やってみて、なぜ人がそういうことをしたがるのか、わかった。

すべてはこの瞬間のため。

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空に咲く無数の花と光のシャワーが、眩しく降り注ぐ。

一瞬で消える。儚い。瞬きして覚める夢。

悲しいくらい鮮明に輝く。惜しむようにしばらく残る、光の欠片。

数千枚、どんなに綺麗に写真を撮ったとしても、実際に見る景色には、到底及ばない。

人は多分、ずっとずっと昔から、花火への精一杯の敬意を表するために、

暑くて青くて冒険のにおいがする、夏という一瞬の煌めきを楽しむために、

浴衣を着たり、人混みにも構わず、花火大会に行くんだろうなと思った。

日本人がずっと親しんできた、たのしみ。

夏の風物詩。

いつかずっと昔の夏、この花火を、私の知らない誰かたちが、見つめていた。

言葉もなく、息をするのも忘れ、食い入るように見つめた空。

いまを生きるわたしたちも、おんなじだ。

そして、ずっと未来も。

これからどんなに時が流れてもずっと、花火が夏を彩りますように。

空がずっと、空でありますように。

まだ此処にいない誰かを思いながら、見つめた、つかの間の夢でした。

 

カンボジア、追憶の場所で

半年に一度あるかないか。眠りたいという気持ちとは裏腹に、どんどん目が冴えてゆく夜。気づけば、部屋の生ぬるい空気のなかで、あの国のことを思い出している。

カンボジアに行ったのは、去年の春の8日間のこと。自分でスタディーツアーに申し込み、大学生や社会人の方、現地のガイドさんと共に行動した。総勢25人超。

出発日はたしか朝8時半に空港に集合だった。前日の夜は、ちゃんと起きられるか不安に思いすぎたためか、カンボジアの本を読んだり、スーツケースの中身を確認したり、落ち着きなく過ごし、1時間しか寝られなかった。寝坊していないか心配してくれた、心優しい友人からモーニングコールをもらい、いつの間にか夜を越えてしまっていたことに気付き、呆然とした。友人はそんな私にあきれていた。

1日目はほとんど移動で終わり(機内では案の定ほぼ爆睡)、やっとプノンペンの空港に到着して外に出た瞬間、嗅いだことのない風のにおい、生暖かい空気、聞いたことのない言語のざわめきに包まれる。異国では、かなり五感が研ぎ澄まされるものなのだと、このとき初めて知った。理性というよりも本能が、「ここはいつもの場所じゃないぞ。注意してかかれ」と、身体に伝達しているようだった。道路をビュンビュン、高スピードで走るバイク。一台になんと4人が乗っている。運転している母親は、3人の子供を後ろに乗せ、車の列の間を器用に走り抜けてゆく。子供たちが、物珍し気に、バスに乗っている私たちの顔を見つめている。もう2度と訪れないかもしれない国で、きっともう2度と、会うことのない彼らが、同じ道路を走っている。そのことがとても不思議で、近くにいるはずなのに、彼らのことが、とても遠くに感じられた。

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(ここから2日目の記述になりますが、一部ショッキングな内容を含みます。ご了承ください。お避けになりたい方は、この記事を読むのをやめることをお勧めします。)

2日目に訪れたトゥールスレン収容所と、キリングフィールドのことは、たぶんこれからも何度も思い出すと思う。カンボジアには悲しい過去がある。ポルポト政権時代に、集団虐殺や過酷な拷問などが行われたのだ。トゥールスレン収容所とは、もともと学校だった建物が1976年から強制収容所として多くの人が拷問や虐殺された場所で、今も当時のまま遺されている。

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建物の中には、幼い子供からお年寄りまで、数えきれないほどたくさんの犠牲者の写真、床に薄く残る血痕、過酷な拷問を再現した展示などがあり、見れば見るほど、心のなかの言葉が減っていく。狭くほとんど光の入らない独房に、実際に入ってみたが、押しつぶされそうな閉そく感に、何十秒ともたなかった。外観や内装をほとんど変えずに、この場所を遺そうとした先人たちの思いの重みを感じた。この場所に収容されて生き残った人は、わずか8人だったという。そのうちの1人が、展示の中で語っていた言葉が今も目に焼き付いて離れないーLife there was as bad as hell.

収容所に続いてキリングフィールドを訪れた。キリングフィールドは、強制収容所に収容された人々の多くがトラックで運ばれて虐殺された旧処刑場である。トゥールスレン収容所と全く違うのは、その場所がとてものどかで、優しい雰囲気さえ感じさせることだ。

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敷地内には、鳥が鳴き、美しい花々がある。ベンチで語り合う地元の人の姿も見られた。緑のサトウヤシの木々の葉が静かに揺れる。しかし、ガイドさんは語った。その木の皮のギザギザとした部分で、人々が首を切って殺されたこと。虐殺に使われる場所だと周囲に気付かれないように、大きな菩提樹にスピーカーが入れられ、大音量で音楽が流されていたこと。そのほかにも悲惨さを物語るたくさんのエピソードを聞くうちに、自分がいま、見学者として平然とその場所に立っていることが、信じられなくなった。他人事ではない、生まれてきた時代と場所さえ違えば、自分はここで死んでいたのだ!そして、自分も生きている間に彼らと同じように殺されるかもしれないのだ。ここで亡くなった人々も、こんな最期を想像して生きていたわけではなかっただろう。私たちと同じように、あしたを、未来を、信じて疑わなかった人間。そしてそんな人間を、残酷な方法で死に追いやったのもまた、人間。

敷地中央には高い慰霊塔が建ち、人々の頭蓋骨が積み上げられている。

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その頭蓋骨のなかから、空っぽの目が私をじっと見つめる。眼差しが問いかける。

自らのナチス強制収容所での経験をもとに著された、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」には、こんな言葉がある。「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」

彼の言葉を思い出しながら、天井までうず高く積み上げられた、誰かが生きた証を見つめた。

人間として生きるという責任を、これほどまでに思い知らされた日はない。

この場所を後にするとき、「ここには、いつか、大切な人と、また来よう。」と思った。家族、友人、恋人。心奪われるような絶景も確かに見たいけれど、一緒に考えてみたい。これからの時代をきっと担っていく私たちが、どのように過去に向き合っていくのか。これからどんな世界を望んで、つくりあげていくのかを。

頭蓋骨たちは今日も、訪問者に問いかけ続ける。平和という言葉の意味を、その重さを。

ブログを書く理由

お題「ブログをはじめたきっかけ」

ブログを書こうと思った最初の理由は、スリランカの観光に関するインターンに参加したから。ブログで観光地の魅力を発信することで、スリランカに関心を持ってくれる人がいたらいいな、そんな気持ちで。

でも、スリランカから帰った後もブログを続けているのは、言葉を自由に丁寧に、書き表したいから。

高校生の頃からよくツイッターを使っていたけど、字数制限で伝えきれない言葉が出てきてしまい、歯痒かった。要約の勉強にはなったかもしれないけれど。笑

それに、前後の文脈なしに、ぽん、と綴った言葉が、自分の思っていた方向に受け取られずに、相手と感情のすれ違いが起きたことも、ショックだった。

もちろん、ブログでまたすれ違いが起きる可能性もある。

そんなリスクがあってまで、なぜこんなに、書きたいって思うんだろう。読んでほしいって思うんだろう?

それは一方的な願望でしかないのに。

書くという行為は不思議で、自分一人で行うパーソナルなものだけど、自分以外の誰かにそれを読まれなければ、完成しない。

読むという行為も同じで、誰かが書かなければ、できない。

たぶん、わたしは、将来お金になるとか、仕事にできるかとか、そういうことを超えて、書く、読む、という行為が好きなのだ。

言葉を通して伝わる感情の揺れ動きに、心は何万回でも震える。

どんな言語でも、文字でも、誰かがなにかを伝えようとしたその思いは、まっすぐに、わたしたちの未知の扉を開く。

それはたのしい。

たとえ、揺れが激しすぎて、ダメージを受けることがあったとしても、書く、読むという行為は、生きる歓びと繋がってゆく。

だからなるべくずっと、ライフワークのように、書くこと読むことに関わっていたいのだ。

着実に進んでゆく年月の間、受け取る側ではなく、渡す側になっていきたいと思うようになった。たとえ、どんな悪文であっても、世界を流れる文章の一部になりたい。

なっていきたい。

どんな人生を過ごし、どんなに歳を取っても、

ずっと読み書きに恋をしている。

自分の世界を書き表し、誰かの世界を読み干すことに、夢中でありたい。

これからも、マイペースな更新ではありますが、わたしの生活が文章になっていきます。

しんどい思いをしている誰か、そして、書いている自分自身がふっと、「ああ生きてるって悪くないかもな」と思えるような文章を目指し、続けていきます。

よろしくお願いします。

 

 

人生は一度きりだから

大抵しんどいと思う。

生きてるってハッピー!とか笑顔で言われたら卒倒しそうになる。

人生暇つぶしって少し思ってる。


好きな曲の最後にボーカルが「人生一度きり」と言う。そこでいつもよぎるのは、人身事故の表示の出た、電光掲示板。

実際に事故の様子を見たことはない。だけど、リアルに想像はできる。

フワン、と音を立てて去っていく電車に飛び込めばきっと楽になれる、さあ、と一歩足を踏み出して、そのまま帰れなくなってしまった、彼、彼女、あの人。

いつも、鉄道会社は謝る。車掌も謝る。

「みなさまにご迷惑をおかけして申し訳ありません…」

何度も何度も同じように謝る。

いつも思う。

なんで謝るんだろう。

謝らなくていいよ。

あなたは悪くない。

落ちてしまったその人も、悪くない。

誰も悪くない。

謝罪はなんとなく宙に浮いたまま、どこにも響かずに辺りをただ彷徨っている。

どんな人生を送ってきたのかな。疲れてしまったのかな。ほんの一瞬でも、楽しいと思うことはなかったのかな。

きっとあっただろう。そんなふうに願うことはただのエゴだ。わかっている。

いい人だと言ってほしいわけじゃない。

だけど思う。あなたを駅のホーム下へと追いやったのは、本当はわたしたちひとりひとりでできた社会なんだ、と。

誰かが悪いわけじゃなく、個人の集団でできた、この社会が、あなたの心と身体を蝕んでいたんだ。

謝らなくていいから、謝るよりも、考えなければ。

「どうしてあなたが、自分から終わりを迎えに行ってしまったのか。

わたしたちの何が、そうさせたのかを。」

 

もっと生きられたはずなのに、終わりを待たず、自分で決めてしまった最期。

その瞬間、何を想っていましたか?

これからは、わたしたちの知らない場所で、今度は自分で終わりを決めなくてもいいように…選ばなくてもいいように、ただそこに穏やかに、在ってほしい。


1秒先で何が起こるかなんて分からない。でも、この命を生き切ることができたなら、それでいい。それがいちばん。

そんなふうに思い願いながら、今日もわたしたちは、生きていく。

自分らしく生きるなんて、正しい生き方なんて、分からないけど、それでも。

生きていたんだよね。

わたしも生きていくよ。

 

ハルカトミユキト、ワタシ

1番腹が立つ瞬間は、誰かの「普通」を押し付けられたとき。

声たちは言う。

“普通はこうだよね。そうだよね。なのになぜ、あなたは違うの?”

責めるような、氷の目線。

さらさらと流暢に、いつまでも続く主張。

聞こえないとでも思っているのか?

それが普通なのかどうかは、わたしや、わたしを評価する目上の方々が判断することだ。本当はそんな風に評価されることも嫌いだが、そうされなければいけない立場にいる以上、今はしょうがない。(割り切れない時もあるけど)

そんなどうしようもない怒りに苛まれた日は、まっすぐ家に帰る。

すぐさまラックから、あるアーティストのCDを取り出す。

それは、ハルカトミユキ。

彼らに出会ったのは、中3の、キツイ反抗期の最中。親が困っているのは分かっていたけれど、あのとき私は周りの大人がみんな敵に見えていた。自由になりたくて、なれなくて、とにかく必死で、救いを求めていた。

そんなとき、彼らの「その日がきたら」という曲に出会った。

YouTubeのミュージックビデオ、ボーカルのハルカが、ゆっくりと口をひらく。

「ねえ、君は知ってる?
世界はもうすぐに終わるってこと。
でも、僕は知ってる。
世界なんてとっくに終わってるんだ。」

音楽を通して、はじめて伝わる衝撃。

雷のように、打たれた。

瞬間、涙が溢れた。

なんでわたしのことを、こんなに分かっているんだろう。

ほんとは誰かにずっと、そう言ってほしかった。

世界は終わっている。

はじめから、終わっていたんだ。

諦念のような、喜びのような。

世界が一気に開けたような、そんな気持ちだった。

そして反抗期を遠く過ぎた今もずっと、ハルカトミユキを聴き続けている。

サイン会で、はじめて2人(ハルカトミユキは、ハルカ と ミユキの二人組バンドなのである)を目の前で見たとき、嘘みたいに涙が溢れて溢れて止まらず、自分でもビックリした。大好きですと言うのが精一杯だった。

それから何度もライブに行っているが、行くたびにバンドの世界観を堪能し、どんどん曲との思い出が増えてゆくのを感じる。

リズムに乗れば、へたくそな踊りでも、気分は一流ダンサーだ。

暴れるキーボードも最高!

エッジのきいた言葉たちは、いつでもサイダーみたいにシュワっと、淀んだ心を爽快にしていく。 

 

人生のなかで、すれ違ってゆくおびただしい数の人々。

きっと振り返ったら、一瞬の出来事ばかり。

わたしがわたしの日々を生きるように、

彼は彼の、彼女は彼女の日々を生きて、色々思ったり考えたりしている、ただそれだけ。

ぶつかることは、別に特別なことじゃない。

現実は、悪者とヒーローがハッキリ分かれているアニメみたいに単純じゃなくて、おそらく、誰が正しいとか間違っているとかはないのだ。

「世界は終わっている」。

そう呟いて深呼吸すれば、どんな困難も批判も悪口も愚痴も、なんだって、セピアに色褪せて、もう気にならない。

あの日の衝撃は、ますます大きくなるばかりだ。

ありがとう。

これからも聞き続けたい。

彼らの創る音楽を、ずっと。

サイン会でもらったサインは宝物!

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音を聞かせて

「もしもあなたの世界が閉じる瞬間に、聞きたい音を選べるとしたら?」
家族の声、大好きな曲のフレーズ。故郷の電車で聞く車内アナウンス、もしかしたら、パンが焼けるときの「チン!」という音。私たちの日常をかたちづくっている色々な音の中から何か一つを選ぶのは難しい。でも、きっと特別なものでなくていい。あまりに特別すぎるもの、たとえば、最後に聞くのが自分のことを呼び止める誰かの悲痛な泣き声だったりしたら、未練が残ってしまいそうだから。
そして私の答えはもう決まっている。猫が喉を鳴らすときのぐるぐる、という音だ。猫がなぜそんな音を出すのか完全には解明されていないが、一般的にはリラックスしたときや甘えているときなどに鳴くといわれている。個人差(個猫差?)もあるが、心を開いてくれた後でなければ、猫は人間にその音を聞かせてくれない気がする。心を開くといっても、猫にしてみれば「こいつは危ないヤツじゃないらしい。」と認識した程度のことで、たぶんそこに大した感情はない。猫は気まぐれ。自由で、誰にも支配されず、誰の命令も聞かない。でも猫には不思議なぬくもりがある。たとえばあなたが悲しい時、しっぽをふってやってきて涙をなめてくれたりはしないけれど、きっと猫はいつの間にかあなたのそばに居て、ただ静かに眠るだろう。その寝息や寝顔を見つめていると、悲しさがすうっと風のように溶けて消えてしまう。たとえばあなたがさみしい時、少しだけ猫のおなかに潜らせてもらうといい。きっとそのお日様のにおいが優しくあなたを包み込むだろう。そして、彼らが鳴らすぐるぐるという音。その音の中には、深い音、低い音、重い音、浅い音、様々な音が混ざり合っている。目を閉じる。世界があなたと猫の二人きりになる。押しては返す波のように静かに続いてゆく音が、やがて一つの大きなまとまりになって、心に流れ込んでくる。海を思い出す。それは私たちの生の源で、きっといつか還っていく場所。音はつづく。命はつづく。猫の鳴らす音が終わっても、その空間に残る余韻は消えずにそこにあり、柔らかな空気が流れる。
「疲れた。」が口癖になったのは、いつからだろう。目の前の暮らしを何とかこなし、エネルギーを消費し、あわただしい日常に流され、いつも何かに疲れている。でも、猫のぬくもりに触れ、その音を聴くとき、いつも私は生きていることの不思議さで胸がいっぱいになる。生きている、この命のすべては、やがて一つになる。日々を流れる只中で、何を見つけ、何にあこがれ、何を愛せるのだろうか。
後悔しない生き方なんてないのだろう。それでも私は世界が閉じる瞬間まで、彼らの鳴らす音を聴きながら、その遙かなる時空の中で、今を生きていることを、大切に思い続けていきたいと思うのだった。

 

異国が自国に変わった瞬間

こんにちは冨子です!お久しぶりです😊

スリランカから帰国して、早くも4週間が経ちました。スリランカから帰国してまず感じたのは「なんか異国に来たみたい」。

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(スリランカを発つ前に空港で。)

というのは、スリランカで過ごすうちにいつのまにか「自国」が日本ではなく、スリランカに変わっていたからです。当たり前のように日本人と日本語を話し、だいたい家と学校とバイト先を往復する日々。でも、スリランカでの6週間、一緒に過ごす日本人はいない。日本語は通じない。毎日違う場所に行く。

(詳しくは前のブログを読んでいただけたら分かるかと思います)

その中で、英語での会話を通して、スリランカ人の親友ができ、現地の暮らしに慣れていく。スリランカで生きていることが当たり前になるにつれて、不便・便利、快適・不快などの境目がなくなっていきました。とはいえ、気持ちが落ち込んだときは、つい日本との違いを嘆きそうになりました。(特に水回り…)

でも、いま私が生きる居場所はスリランカだと言い聞かせているうちに、自分の心に余裕が生まれました。

個人的に一番印象に残っているのは、同じプロジェクトに参加していたある国の女の子が、お互いの些細な誤解からスリランカ人と揉めた時。その女の子がスリランカ人を傷つけるような言葉を言ったのを聞き、私は彼女に本気で怒り、それは間違っているとはっきり伝えました。しばらく会話もする気になれなかったほどに怒っていました。笑

それは、スリランカ人の優しさを知っていたからです。どこの国に行っても優しい人はいるよ、珍しいことじゃないよと言われたら確かにそうかもしれないけれど、異国の地では、誰かの優しさに助けられなければ克服できない問題もたくさんあります。バス停が分からなくて困っていたら英語で一所懸命に教えてくれた人。渋滞でたくさんのドライバーに断られる中、トゥクトゥク(スリランカのタクシー)に乗せてくれた人。病院に取材したいと言ったら通訳を快く引き受けてくれた友人たち。

無意識のうちに、異国が自国に変わっていたことを認識させられる、大きな出来事でした。

 

帰国当初は、生活の中の些細な場面で毎日驚いてばかり。

一つ例に取ってみると、バスに乗ったら

「静かすぎる!

席が少なすぎる!

お尻が痛くない!ガタガタしない!

淋しい!!」

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(スリランカでは、多くのバス車内でスリランカの音楽がスピーカーから大音量で流れています。さらに道路では車のクラクションが鳴りまくり、バスの運転手さんもよくクラクションを鳴らすため賑やかな車内です。

バス内の座席は2人がけのもののみで、シートは日本のものよりはだいぶ固いです。走行中の揺れが酷い道もたくさんあります…)

他にも色々と驚くことはありました。しかし。

「やっぱり日本最高〜」

とは全く感じませんでした。いくら快適な環境であっても、今度は日本とスリランカを比べて落ち込んでしまう。スリランカにいた時とは逆ですね。笑

自国のように感じた国のことは、なかなか心から抜けないようです。

渡航以前の暮らしに戻っても、スリランカロスから抜けることなく、いつも心の中にスリランカへの想いを持っている。そんな日々です。

いわばスリランカは私にとって第二の故郷です🇱🇰

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(スリランカの美しい海)

そしてこれからも、この気持ちと一緒に生きていきたいなと思います。この気持ちを、どこにどう繋げていくかについての話は、また後日。

ではまた更新します。最後まで読んでくださり、ありがとうございました🙇‍♀️