親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

ブログを書く理由

お題「ブログをはじめたきっかけ」

ブログを書こうと思った最初の理由は、スリランカの観光に関するインターンに参加したから。ブログで観光地の魅力を発信することで、スリランカに関心を持ってくれる人がいたらいいな、そんな気持ちで。

でも、スリランカから帰った後もブログを続けているのは、言葉を自由に丁寧に、書き表したいから。

高校生の頃からよくツイッターを使っていたけど、字数制限で伝えきれない言葉が出てきてしまい、歯痒かった。要約の勉強にはなったかもしれないけれど。笑

それに、前後の文脈なしに、ぽん、と綴った言葉が、自分の思っていた方向に受け取られずに、相手と感情のすれ違いが起きたことも、ショックだった。

もちろん、ブログでまたすれ違いが起きる可能性もある。

そんなリスクがあってまで、なぜこんなに、書きたいって思うんだろう。読んでほしいって思うんだろう?

それは一方的な願望でしかないのに。

書くという行為は不思議で、自分一人で行うパーソナルなものだけど、自分以外の誰かにそれを読まれなければ、完成しない。

読むという行為も同じで、誰かが書かなければ、できない。

たぶん、わたしは、将来お金になるとか、仕事にできるかとか、そういうことを超えて、書く、読む、という行為が好きなのだ。

言葉を通して伝わる感情の揺れ動きに、心は何万回でも震える。

どんな言語でも、文字でも、誰かがなにかを伝えようとしたその思いは、まっすぐに、わたしたちの未知の扉を開く。

それはたのしい。

たとえ、揺れが激しすぎて、ダメージを受けることがあったとしても、書く、読むという行為は、生きる歓びと繋がってゆく。

だからなるべくずっと、ライフワークのように、書くこと読むことに関わっていたいのだ。

着実に進んでゆく年月の間、受け取る側ではなく、渡す側になっていきたいと思うようになった。たとえ、どんな悪文であっても、世界を流れる文章の一部になりたい。

なっていきたい。

どんな人生を過ごし、どんなに歳を取っても、

ずっと読み書きに恋をしている。

自分の世界を書き表し、誰かの世界を読み干すことに、夢中でありたい。

これからも、マイペースな更新ではありますが、わたしの生活が文章になっていきます。

しんどい思いをしている誰か、そして、書いている自分自身がふっと、「ああ生きてるって悪くないかもな」と思えるような文章を目指し、続けていきます。

よろしくお願いします。