親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

カンボジア、追憶の場所で

半年に一度あるかないか。眠りたいという気持ちとは裏腹に、どんどん目が冴えてゆく夜。気づけば、部屋の生ぬるい空気のなかで、あの国のことを思い出している。

カンボジアに行ったのは、去年の春の8日間のこと。自分でスタディーツアーに申し込み、大学生や社会人の方、現地のガイドさんと共に行動した。総勢25人超。

出発日はたしか朝8時半に空港に集合だった。前日の夜は、ちゃんと起きられるか不安に思いすぎたためか、カンボジアの本を読んだり、スーツケースの中身を確認したり、落ち着きなく過ごし、1時間しか寝られなかった。寝坊していないか心配してくれた、心優しい友人からモーニングコールをもらい、いつの間にか夜を越えてしまっていたことに気付き、呆然とした。友人はそんな私にあきれていた。

1日目はほとんど移動で終わり(機内では案の定ほぼ爆睡)、やっとプノンペンの空港に到着して外に出た瞬間、嗅いだことのない風のにおい、生暖かい空気、聞いたことのない言語のざわめきに包まれる。異国では、かなり五感が研ぎ澄まされるものなのだと、このとき初めて知った。理性というよりも本能が、「ここはいつもの場所じゃないぞ。注意してかかれ」と、身体に伝達しているようだった。道路をビュンビュン、高スピードで走るバイク。一台になんと4人が乗っている。運転している母親は、3人の子供を後ろに乗せ、車の列の間を器用に走り抜けてゆく。子供たちが、物珍し気に、バスに乗っている私たちの顔を見つめている。もう2度と訪れないかもしれない国で、きっともう2度と、会うことのない彼らが、同じ道路を走っている。そのことがとても不思議で、近くにいるはずなのに、彼らのことが、とても遠くに感じられた。

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(ここから2日目の記述になりますが、一部ショッキングな内容を含みます。ご了承ください。お避けになりたい方は、この記事を読むのをやめることをお勧めします。)

2日目に訪れたトゥールスレン収容所と、キリングフィールドのことは、たぶんこれからも何度も思い出すと思う。カンボジアには悲しい過去がある。ポルポト政権時代に、集団虐殺や過酷な拷問などが行われたのだ。トゥールスレン収容所とは、もともと学校だった建物が1976年から強制収容所として多くの人が拷問や虐殺された場所で、今も当時のまま遺されている。

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建物の中には、幼い子供からお年寄りまで、数えきれないほどたくさんの犠牲者の写真、床に薄く残る血痕、過酷な拷問を再現した展示などがあり、見れば見るほど、心のなかの言葉が減っていく。狭くほとんど光の入らない独房に、実際に入ってみたが、押しつぶされそうな閉そく感に、何十秒ともたなかった。外観や内装をほとんど変えずに、この場所を遺そうとした先人たちの思いの重みを感じた。この場所に収容されて生き残った人は、わずか8人だったという。そのうちの1人が、展示の中で語っていた言葉が今も目に焼き付いて離れないーLife there was as bad as hell.

収容所に続いてキリングフィールドを訪れた。キリングフィールドは、強制収容所に収容された人々の多くがトラックで運ばれて虐殺された旧処刑場である。トゥールスレン収容所と全く違うのは、その場所がとてものどかで、優しい雰囲気さえ感じさせることだ。

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敷地内には、鳥が鳴き、美しい花々がある。ベンチで語り合う地元の人の姿も見られた。緑のサトウヤシの木々の葉が静かに揺れる。しかし、ガイドさんは語った。その木の皮のギザギザとした部分で、人々が首を切って殺されたこと。虐殺に使われる場所だと周囲に気付かれないように、大きな菩提樹にスピーカーが入れられ、大音量で音楽が流されていたこと。そのほかにも悲惨さを物語るたくさんのエピソードを聞くうちに、自分がいま、見学者として平然とその場所に立っていることが、信じられなくなった。他人事ではない、生まれてきた時代と場所さえ違えば、自分はここで死んでいたのだ!そして、自分も生きている間に彼らと同じように殺されるかもしれないのだ。ここで亡くなった人々も、こんな最期を想像して生きていたわけではなかっただろう。私たちと同じように、あしたを、未来を、信じて疑わなかった人間。そしてそんな人間を、残酷な方法で死に追いやったのもまた、人間。

敷地中央には高い慰霊塔が建ち、人々の頭蓋骨が積み上げられている。

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その頭蓋骨のなかから、空っぽの目が私をじっと見つめる。眼差しが問いかける。

自らのナチス強制収容所での経験をもとに著された、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」には、こんな言葉がある。「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」

彼の言葉を思い出しながら、天井までうず高く積み上げられた、誰かが生きた証を見つめた。

人間として生きるという責任を、これほどまでに思い知らされた日はない。

この場所を後にするとき、「ここには、いつか、大切な人と、また来よう。」と思った。家族、友人、恋人。心奪われるような絶景も確かに見たいけれど、一緒に考えてみたい。これからの時代をきっと担っていく私たちが、どのように過去に向き合っていくのか。これからどんな世界を望んで、つくりあげていくのかを。

頭蓋骨たちは今日も、訪問者に問いかけ続ける。平和という言葉の意味を、その重さを。