親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

ハナビ

ずっと思ってた。

なんで人は、暑いのにわざわざ浴衣を着たり(別に特別涼しくなるってわけでもない)、

人混みに疲れるとわかっているのに満員の電車に乗り込み、

花火大会というイベントに出かけていくのかと。

だけど、今日実際それを両方やってみて、なぜ人がそういうことをしたがるのか、わかった。

すべてはこの瞬間のため。

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空に咲く無数の花と光のシャワーが、眩しく降り注ぐ。

一瞬で消える。儚い。瞬きして覚める夢。

悲しいくらい鮮明に輝く。惜しむようにしばらく残る、光の欠片。

数千枚、どんなに綺麗に写真を撮ったとしても、実際に見る景色には、到底及ばない。

人は多分、ずっとずっと昔から、花火への精一杯の敬意を表するために、

暑くて青くて冒険のにおいがする、夏という一瞬の煌めきを楽しむために、

浴衣を着たり、人混みにも構わず、花火大会に行くんだろうなと思った。

日本人がずっと親しんできた、たのしみ。

夏の風物詩。

いつかずっと昔の夏、この花火を、私の知らない誰かたちが、見つめていた。

言葉もなく、息をするのも忘れ、食い入るように見つめた空。

いまを生きるわたしたちも、おんなじだ。

そして、ずっと未来も。

これからどんなに時が流れてもずっと、花火が夏を彩りますように。

空がずっと、空でありますように。

まだ此処にいない誰かを思いながら、見つめた、つかの間の夢でした。