親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

高速バス、22時

おはようこんにちは或いはコンバンハ。

眠いんだけど眠りに至らない感じのゆるい睡魔。

本を読む気にはなれない暗い車内灯。

効き過ぎた冷房。
高速バスに乗ってる。21時59分、あ、22時。
イヤホンから流れるサカナクションのモノクロトウキョー。

すれ違う人の疲れた匂いや退廃的に歩くスクランブル交差点、人のいない部屋にひとり帰り電気をつける1秒前。知らない誰かの生活が浮かび上がってくる不思議、魔法のようだ

乗客はたった2人、これって赤字なのではと不安になるが声には出さない

バスは黒の中を走る、街灯の光光が視界に浮かんでは消える。欠伸。でも眠くない

謎に疲れやすい体の理由は医者曰く貧血かもとのことで、言い訳ができてホッとしつつ何かに無性にごめんねと言いたくなる
何者でいたいとかはないから とかカッコつけて思いながら、テキトーにだけど着実に、就職先のことを考え、研究計画を書いた私は、一体10年後どの辺を生きてるのか

生まれ育った田舎から都会へと帰ってゆく私は親不孝なのか、あまつさえコロナの流行下で。

 

田舎には田舎の大変さがあるし都会には都会の大変さがある、当たり前だけど自分のことを好いてくれる人ばかりじゃない

それでもああよっこらしょと重い腰をあげて働いて生きてお金を稼いで税を納める

親も祖父母も従兄弟も誰々さんも働く

何もしなくてもそういう大人になれるんだと思っていたのに

ところがどうだ、ここにいる私はいつまでも注射を怖がり 魚を捌くこともできず 解決できない問題が起きれば簡単に親を頼るような奴だ

いつまでも幼稚で、それを自覚していながら、何もわかっていないふりで悪びれもせずに笑ってみせる

大人とはなんだろう

もう子供は通り過ぎたはずなのに

わたしはいつまでも子供駅から大人駅までの道をわざと迷子になって彷徨い続けてるうちに本当に道が分からなくなったような気がする

なんという生温さ、それを許されてるだなんて。 愕然とする

若さに対する傲慢さに溢れているなと感じる

この若さがずっと続くわけはないと頭ではわかっていても、何十年か後にシワシワになり身体もうまく動かせない私をイメージできない

そうなったとき、今の私を羨ましく思ったり詰ったりするんだろうか?

若いことが嫌になるとか思いながら、若さを知らず知らずに謳歌して、なんにもわからないフリを続ける…それをやめて、衰えを自覚し、わからないことを認め向き合ったとき、わたしはきっと大人駅の電車に乗って、今度は老人駅へと向かい始める

のかもしれない。

或いは

いつのまにか老人駅なんかとっくに通り越して、土に還って、気づいたら違う誰かになったり、宇宙に流れる星になってたりするのかな

いよいよ瞼が重たくなった

明日の朝読んだら「なんだこれ」と思っちゃうような文だけど、

今日は久しぶりに雨が上がって空が澄んでて、つまり月がきれいだから

こんな言葉も夜のどこかに溶けるかも

だから残してみる

それでは

おやすみなさい

またね。