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元浪人生の国家試験体験記

私は元浪人生である。

浪人に至ったことはあまり後悔していないが、もし知り合いが浪人しようとしていたら、「現役よりかなり大変だし、想像の100倍以上はしんどい。でもほんとに目指したいならやればいい」と伝える。

わたしは予備校の壁に貼ってあった習字の言葉を度々思い出す。

浪人は人生の肥やし

それを見たのは現役生のときで、「ふーん。ま、でも私は浪人なんかしないけど」と思っていた。若干見下してすらいた。そのわずか2年後に、絶望とともに浪人を選ぶことになるなんてつゆほども思わずに。

浪人時代に辛かったことはたくさんあるし、何より浪人したにも関わらず第一志望の学部に結局入れなかった。しかし、浪人生の経験を通して得たものもあったので、結果的に自分の人生にはプラスだと思っていた。

…国家試験という恐ろしい奴らがやって来るまでは。

はじめに言っておくが、国家試験を受ける全ての元浪人生がこんな思いをするわけではない。一度受験で苦しい思いをした分、国試のずっと前から抜かりなく準備を進め、余裕を持ってゴール!というケースも多いだろう。

しかし私はそうではなかった。

優秀な友人たちの、「えっわたし全然勉強してないよっ。まだまだこれからだよっ」という甘い言葉をまんまと信じ込み、「そうだよねーまだこれからだよね」と言っていたら、年末の模試でコテンパンにされた。文字通りコテンパン、気持ちいいくらいに酷いものだった。

彼らは、いつだって、彼らの基準で「勉強してないよっ」と言ってのける。彼らに悪気があるわけではない。しかし、彼らはいつだって、自分の想像の数倍は、勉強しているものなのだ…あなおそろしや。こういう裏切りは小学生のころから日常茶飯事だったのに、なぜ今まで忘れていたのか。しかしもう遅い。友人たちは、もう自分より1コース早く走っている。

さっきまで同じ場所にいたのに、なぜ?

もう、追いつけない!時間がない!!

そのとき、ついに閉じ込めていたはずの浪人時代の記憶の蓋が開いてしまった。

何度もやっても間違える問題、

答えを覚えてしまったことに気づかずわかった気になっていた問題、

何回読んでも基礎問題をやっても理解できない、異国の言葉のような問題の数々…

それらに追い詰められ、不安をかき消せないまあまま挑んだ試験で頭に浮かぶ絶望の二文字。ざっくりと心の血が流れ、自尊心の傷ついた音がする。

あんなに時間があったのに、私は何をしていたんだと、叫び泣いた、結果発表の夜。

どんなに願っても戻せない時間!

…浪人生というのは、どんな理由であれ誰しも、ふるいにかけられて振り落とされる痛みを知っている。だからこそ、人の痛みがわかるとも言えるが、逆に言えば、痛みにかなり敏感だと思う。もう傷つきたくないから。あんなに苦しい思い、もうしたくないから。

模試の結果を見た私は慌てた。

二の舞にならないようにと、ひたすら問題を解き続けた。注意したのは「わかった気にならないこと」「体を動かす、声に出す、イラストにする、ゴロにするなど、記憶に残るきっかけを何個も作る」。浪人、現役生のときは、基本的な考え方が身についていないのに、焦って標準や応用問題に手を出した結果、なんとなくでしか理解できておらず本番で失敗するという事態が多発したからだ。

 

国家試験が近づくにつれ、情緒不安定さが増していった。悪い想像ばかりを重ね、過去の自分を詰った。何を見ても泣いた。NHKみんなのうたを聞いて泣き、何気ない日常のラジオを聞いて泣き、アイドルの動画を見て泣き、音楽を聴き、ひたすら泣いた。自分でもおかしいと分かっていたが、涙が勝手に出て来る。泣いたからといって問題は解けないのだが…

誰だって そんなつもりで泣くわけじゃないよね(宇多田ヒカル/time will tell)

宇多田ヒカルのこの歌にはとても助けられた。直接的に大丈夫だよとは言ってないのに、その曲は「安心感」そのものだった。過去の失敗を繰り返し失敗する自分の映像が脳内で連続再生されても、この曲があったからどうにか夜を越えられたと思っている。

試験にしろ就活にしろ、自分のことを全く知らない他者にいきなり評価され、弾かれ、必要不必要を下されることは、とても苦しい。迫り来るものから逃げられない恐怖、周りの期待を裏切ってしまったらどうしようという恐怖。そこまで苦しい思いをして乗り越えなきゃならない理由ってなんなんだと、何度も考えては、やめた。考えても仕方がないからだ、今できる自分の最善は、問題を解くこと。

渦中にいるときは気づかなかったが、たぶん試験はひとつの方法のようなものに過ぎない。

競争や勝利が全てではないけれど、苦しい瞬間や過去を精神的に乗り越え、「今」で塗り替えなければならない瞬間が、私たちにはきっとある。その方法の一つとして、試験や就活があるだけなのだと。

 

もし浪人した過去がなければ、おそらく国家試験にここまで苦しむことはなかっただろうと思う。振り落とされた記憶が蘇る度に、涙が溢れて困った。そのピークは試験前日の夜で、私はずっと泣いていた。しかし、親からの言葉で落ち着いた。

「どんな結果でも、私はあなたをバカにしたりしない。親を信じなさい。それに、命を取られるわけじゃないんだから」

そう言われて初めて、自分は「失敗」を「死」と置き換えてしまっていたのだと気づいた。失敗したからと言って死ぬわけではないし、試験は長い人生の通過点に過ぎない。

そして、あなたをバカにしないという言葉は、傷ついた自尊心を満たしてくれた。

何があっても、自分は自分として生きていいのだと。

 

すべての試練は、自分に重荷を課すことで、さらに自分を引き伸ばそうとする過程。できるなら重荷なんかいらないけれど、その重荷をまず持ち上げてみなければ、新たな自分には出会えない。重過ぎて振り落としたとしても、また拾えばいい。たとえその重荷を拾えなくても、違う試練から逃れられるわけでもない。

だけど変わらないのは、自分はいつも自分として存在していいのだということ。

 

…本番はただ無我夢中だった。何はともあれ、わたしの国家試験は終了した。もう二度とこんな試験やら試練やらは経験したくないと思うが、おそらくたくさんの数多の試練が私には待ち受けているのだろう。けれど、受験失敗、浪人を経て、国家試験という山に挑んだことは、きっと自分の人生の「肥やし」になってくれるに違いない。

苦しい日々のなかで私を支えてくれたラジオ(主にTBSラジオの「生活は踊る」、NHKラジオ深夜便」)、たくさんの音楽、そして両親に心からの感謝を込めて。

#国家試験

#浪人