眠れぬ夜にラジオ深夜便
人と目を合わせるのがちょっと苦手だ
その人に自分の心を読まれてないか不安になる
そしてもし読まれても大丈夫だと言い聞かせて、もしこの考えまで読まれてたらどうしようと余計に不安になる
だんだん自分の目が正しくその人を見つめてるかどうか自信がなくなりさらに怖くなる
つまり無限ループ
テレビや映画のなかの人と目が合うことはないけど、その眼差しを追うのに疲れちゃうときはある。目の語りに注意を向けるのがしんどくて。
その点 ラジオは声しかしない
だから落ち着く
ああ、大丈夫、この声だけ聞いてたらいいんだ。
どうしても眠れない夜
聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの音に絞ったラジオを聴いていると
すこん、と波が来て眠れたりする
微温湯に浸かってるみたいだ。
大きな音(お馴染みの、やっぱりビッ○がいちばん!のCMとか…)にびっくりすることもない、だいたいずっと誰かが話している。話の内容も落ち着いていて、大きな笑い声などは聞こえず、淡々と会話が進む。その一定のリズムの心地よさは何にも替え難い。
たまに流れてくる音楽も、最新のものではなく、クラシックとか、昔流行った音楽が多く、しっとりとしていて、夜の空気になじむ。
数年前、たまたまラジオ深夜便を聞いていたおかげで、空気公団というバンドに出会うこともできた。流れてきた「旅をしませんか」に、一目惚れならぬ一耳惚れをした。
情景が、ぽこぽこと形を変える雲のように浮かぶ。
たとえるなら、ス○バとかでなく、昔ながらの純喫茶で飲むコーヒー。
やさしくて、素朴で、シンプル。
大人のための童謡みたいだと、わたしはおもっている。今では大好きなバンドのひとつである。ラジオが引き合わせてくれた音楽だ。
ラジオはいつも、誰かが起きてることを教えてくれる。自分にとってはどんなに孤独な夜も、誰かにとってはラジオの向こうに声を投げる夜である
コロナの自粛期間中
たまらなく涙が出て眠れなかった夜があった
寝返りを打ちながらやり過ごし
4時になってふいにラジオから聞こえてきた、無機質にニュースを伝えるアナウンサーの声に
これが、この声が聞きたかったのだと気付いて少しだけ泣いた
無機質で機械的で 感情がこもってなくて
でもそれは紛れもなく
生きてる人間の声
赦された気がした、
安堵の涙だった
そしてニュースを聴きながら
すうっと眠れた夜があった
あの夜を越えられたのはラジオがあったからだ
コロナの自粛期間中、オールナイトニッポン0も聴き始めた。クリーピーナッツと霜降り明星の枠に関してはほぼ毎回聴いている。話に集中してしまうからだいたい昼にradikoで聴く。日々の楽しみである。眠くなってきたのでこの話はまた今度改めて長々とします。
ラジオに関わるすべての人に感謝を。
そして、きょうも画面の向こうにいるあなたがいい日を過ごせますように。
またね