さみしさは原動力
突然。寂しいという感情に押しつぶされそうになったことはないか。
私はある。おおいにある。それは突然にやってくる。こちらは全く用意ができていないために、素足で雪に触れた時のように、冷たさに凍える。さむい。しかしそれを即座にそばで温めてくれるようなニンゲンは、そういう時に限って不在なのである。納得いかない。ついさっきまでいたのに。ただ呼び戻すためのエネルギーはもうない。ああもうこんなにも寒い。
ひとしきり寒がったあとに降ってくるのは疲労感や無力感である。
ああもうどうでもいいな。悲しいよ。
おざなりに全てを投げ出してしまいたくなる。ありえないと分かっているがここまでも人生、一人で生まれ一人で生きてきたような気がする。そんなはずはないのだが。
しかしそんな気持ちを呼び止めるものがあった。
それは創作活動だった。
ひたすら別人格を書く。そのひととき、私はもはやわたしではない別の誰かだ。性別外見性格全て違う。そんな人間たちの歩みに思いを馳せる。人間的な成長に心を砕く。自分で書いているはずなのに全くこちらの思い通りにいかない。彼方此方へ脱線し、彼方此方から戻ってくるそれらと、対話を繰り返す。
すると色々なものから解脱する。何一つ現実は変わっておらず正体不明の寂しさは続く。しかしどうだ。わたしには私でない誰かがいるし、実在しない誰かのなかにワタシがいる。
それが全て人生に内包されていると思う時、もはや孤独ではない。いや究極の孤独ともいえるか。自分の世界の中で勝手に自己完結しているだけだ。でもそれだけのことがこんなにも難しく、こんなにも楽しく、愛おしいとは。
いったい幾つあるんだろう。私の中の感情。思い出。考え。
沢山ある。その沢山の中から生まれた、まだ名前も無いその登場人物。いつか、いつか、物語にして、言葉にしたい。
大したことない。取るに足らない。自己満足。無駄。自分のなかからそんな声も聞こえる。だが構うものか。楽しいいい。楽しいからしている。そして知りたいからしている。何を。自分をだ。そして、まだ見たことのない世界を、言葉を通して映し出すために。
まだまだ続けよう。もしも世界に残るたった一人になったとしても。書きたいと思った。そんな12月の夜。今はまだ名前の無いこの夜のことも、きっと、言葉にしたい。