不器用と純朴
好き/嫌い
いい/いや
どっちでもいい/どうでもいい
このあたりの線引が、頭の中がぐちゃぐちゃだと上手く出来なくなる。ごちゃまぜになる。
そういうときは大概なにをしても徒労に終わり、心労で疲れ切っているので、まず寝る。
ただ、寝ても、朝は来てしまう。
同じ日々の繰り返しが、億劫で仕方ない。そんな重たい気持ちを明るくするような光を求めて、本や映画、友人や家族との逢瀬、そして文章の世界に走ってみたり。
ただ、それすらもやる気が起きないときもある。こうなると厄介だ。そしてその期間が続くと、ついに自暴自棄になる。すべてが嫌になりやる気をなくし、そんな自分を嫌いになってさらにやる気をなくす…エンドレス。
けれど結局は、自分自身とのタイマンで解決した。つまりそれが好きなのか嫌いなのか?どっちでもいい、どうでもいい、は無しだ。白か、黒か。文字にして、ときには誰かに聞いてもらい言葉にして、身のまわりのものや、悩んでいる事柄や降りかかる問題について、考えてみた。
そうしたらもう、基準は単純明快。
幸せなのかどうかだった。
苦しかろうがしんどかろうが、幸せや喜びがあり、それが苦痛を凌駕するなら、幸せだろう。でも、苦しみが勝るなら?痛みが消えないなら?
…もうとっくに答えは出ていた。
疲れのせいにして、考えることを放棄して、間違った方向なのに、それでいいとひた走り、やっぱり転んで、血を流す。
無駄だとは思わない。けれどできれば、流す血は少ない方がいい。
不器用だねとよく言われる。手先もだし、生き方が。だけど、理解するのに時間がかかるタイプなのはこどもの頃から変わらない。性格だ、と割り切ったら楽になった。あとはこんな性格を、どう活かすか、どう捉えるか。こんなふうに後退と前進を繰り返しながら、少しずつ自分を好きになりたいなと思った。そして願わくば、自分を囲むその世界をも。