親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

書くということ

なにかを書いた日の夜はうまく眠れない

緊張するしボルテージがあがる

自分じゃない自分が目を覚ましたよう

カフェインも摂ってないのに

アドレナリンで目が閉じない

何度書いても誰かに読まれるのは怖いし

どう思われるかな?

何かあったらどうしようって…

誰も気にしていない、きっと杞憂だと言い聞かせても 大袈裟だよと強がってみても

やっぱり怖いし心が震える

けどやっぱり好きなんだ

どんなに駄文だとしても書いていたいと思う

本当に書くのが好きなんだと叫びたい、いつも。書くことで愛せる、受け入れられる世界があるから。

みとめよう!わたしは

誰かに読んでもらえて初めてその文が輝くと思っている。

押入れに入れっぱなしでは光らないだろう。誰にも気づかれないけど私だけ知っている光、それもいいじゃんって?

やるだけやってから言わなきゃ説得力がないよ!

 

書けること 表現できること

文字にしたい何かがあること

繋げたい わかってほしい 著したい

そんな何かがあること

たとえそのすべてがエゴだとしても

世界中に空回りしたとしても

その気持ちは宝なんだと思った

だからずっと忘れたくない

 

ハロプロの詞が好き(モーニング娘。編)

昨日はモーニング娘。'21の単独公演でした。1日経ってもパフォーマンスの素晴らしさと、メンバーの卒業への寂しさで胸がいっぱいいっぱいです…でも同時に、モーニング娘。の楽曲、特に歌詞のパワーに改めて圧倒された時間でした。そして急に思い立って、余韻引きずりまくりのまま、個人的に今好きなモーニング娘。楽曲の歌詞について思いのまま書いてみようと思いました。あくまでも私の解釈です…よしなに。

ではいきます!

モーニング娘。の楽曲が好きな人!手ぇ挙げて〜!!」 

「はあ〜い!!!!!!!!!!!!!!」

 

1.青春Night(モーニング娘。’19)/作詞つんく

「幸せって まっすぐ選ぶだけ

私の幸せってなんだろうとか、あの人は私といて幸せなんだろうとか、悩みがちな現代人。考えるより先に選べ!回り道しなくてもまっすぐ目の前にあるぞ!というパワーワードが爽快にカキン!と刺さります。場外ホームラン!!(まりあん昨日オラついててめちゃくちゃカッコよかったですね)

 

2.人生Blues(モーニング娘。’19)/作詞つんく

人生って なんとも無理な場面から

なんとかするからなんとかなる

So 諦めたら 只の人

こちらも’19から。

私は実際、この楽曲を泣きべそかきながらエンドレスで聴き続け1日でプレゼン資料を完成させたことがあります。なんとか上手く行ったのは本当にこの曲のこの歌詞があったからです…きっとハロプロの楽曲が、こんなふうにたくさんの人間の日常を変えているんだろうなと感じます。

諦めたら只の人、ということは諦めなければ超人?達人?それとも偉人?(教科書に載せてもいいレベル?)

諦めなければ誰でもスペシャルなんだ!とガッツをくれる歌詞です。

 

3.秋麗(モーニング娘。)/作詞つんく

忙しい毎日をテキパキとこなし 週末が近づけば女の子になる

私が本格的にモーニング娘。にハマる前、モーニング娘。はなんとなく、あどけないteenagerの心情を歌った曲が多いイメージでした。しかし、この曲は個人的に30代前後の女性のイメージです。周りから丁寧な仕事ぶりに定評があり、後輩の面倒見も良い。ただプライベートは謎に包まれていて、聞き出そうとしてもふわっと煙に巻かれる…そんなA子の癒やしは、最愛の人と過ごす週末、束の間の楽園。みたいな!(長くてすみません)

恋する女性は、いくつになっても女の子という、ロマンチックに溢れた歌詞だなと思います。

こんなふうに、聞き手の想像力を掻き立てる楽曲が多いところも、ハロプロに惹かれる理由のひとつです。

ちぇるとともに、サラッサラな髪をなびかせながら、この曲を華麗に唄いあげる佐藤さんの姿が印象に残っています。歳を重ねてまたぜひ歌っていただきたい一曲。

 

4.What is Love?(モーニング娘。'14)/作詞つんく

たった一人を納得させられないで世界中 口説けるの

個人的にこの曲はメッセージ性が強く、名言だらけだと思うのですが、なかでもこの歌詞が好きです。

夢を語るとき、つい目の前にいる人ではなく、まだ見ぬ世界や人を想像してしまうこと、よくある気がします。目の前にいる人から目を逸らして違うひとに目移りしたり。でも、もっと近くにあるものを見つめ直したら、もうそこに探していた答えはあった。

目の前にいるたった一人に届けるという気持ちや行動の積み重ねで、夢が叶うのかもしれないと考えさせてくれる歌詞です。

 

5.ビートの惑星(モーニング娘。’21)/作詞児玉雨子

誰かを嫌ってみたって 幸せにも強くもなれない

最新曲からもひとつ。

わたしはモーニング娘。が、真理を清々しく爽やかに歌い上げている姿がとても好きなのですが、これはまさにそれを体現した歌詞そのもの。

素敵な人も、苦手な人も、できれば逃げ出したくなるような人も。ダイキライよ!

でも、結局のところ、負の感情を抱え込めば苦しくなるし、愚痴として誰かに話しても虚しさが残るだけのときもある。

たとえLOVEだ!と思えなかったとしても、それでも心を打つようなモーニング娘。の楽曲に触れれば、笑顔にはなれる気がする。笑顔の君は太陽です。(真顔)

 

以上思いのままにぶつけた5曲でした!本当はもっとたくさんある&語りたいのですが、今日はこの辺にしておきます。

最後に!

モーニング娘。'21 コンサート Teenage Solution ~佐藤優樹 卒業スペシャル~

最高のライブをありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!

ハロプロ

#モーニング娘。

 

 

疲れた夜をささえて

ずっと側にいるよ置き去りにしないからと歌うその曲にイライラし

果てないでんわの終着点の無さに辟易し

テレビを見ようにも放送休止の音を聞いて惨めになる

そんな夜がある

いつも張ってる去勢が剥がれ落ちて

つくりあげたはずの経験や人間関係や価値観やプライドなんか全て嘘だったみたいに世界にひとりぼっちの夜みたいに気持ちが落ちていく

そんな夜もある

自分の内なる泣き声を聞いて、それは何か少しだけ産声みたいで、かつ老婆の苦しげな呻き声でもあった

呼び声だと思った、

自分の中で何かが呼んでいるみたいに。

どんな道でも一本だ、どんなに別れていてもいつかはどこかに到着する。

いつか誰もが一人なくなる、人でなくなる

灰になって塵と消える死んでしまったら何にもなれない

0ですらない無だ

生きているうちにしかできないことを私たちはいくつ重ねていくつ捨てていくつ拾ってそれで一体何が残るのかわかりもしないまま進むしかない手当たり次第に何もかもを食べて壊して傷つけてボロボロになって失い続けてもそれが生きるって事なのだ

墓碑みたいに刻みつけていくものなんだ

それが生きるって事なのだ

いきているからこそできる全てなのだ

だからいつも魂に問いかけろ

ここにいる今というその時間を

そして自分に生えている足を、

きっと続いている橋へと伸ばすんだ

 

推しに出会って呪いが解けた話

私は人類が未知のウイルスに右往左往し大騒ぎしているさなか、某有名動画サイトに溢れる数多の動画のなかから、推しに出会った。ただしくは、推しとなる人に。

彼女の名は、譜久村聖(ふくむらみずき)。いわずとしれた国民的アイドルグループ、モーニング娘。の現役リーダーである。

 

きっかけは、ハロプロ好きの友人の影響もあり、暇つぶし程度に観始めた動画だった。わたしは後述する理由により、女性アイドルが好きではなかったが、ハロプロについて語る彼女の目があまりにもキラキラしているため、興味が出てきたのだ。

たまたまヒットしたのは、もう芸能界を引退されている嗣永桃子さんの卒業ライブの動画である。

そういえばぶりっ子キャラで一時期人気を博していたっけ?そんな軽い気持ちで観た動画だったが、目が釘付けになった。笑顔で舞い踊り歌う姿は妖精のように浮き世離れしていた。プロのアイドルだ、と思った。ももちについて何も知らない素人目線ではあったが、その光煌く姿には尊敬や畏怖に似た気持ちすら抱いた。

それから何度となくその動画を見て、メドレーで歌っていたBerryz工房の楽曲や、動画サイトが甲斐甲斐しく表示してくれる関連動画を見漁るうち、モーニング娘。にたどり着いた。そのころにはすっかり耳がつんくビート、ひいてはハロプロ特有の音楽性になれてしまい、当初感じていた違和感がなくなっていた。自分が女性アイドルを長年苦手としていたことさえ忘れ、件の友人にオススメ楽曲を布教してもらうことに夢中だった。

そして動画のコメント欄を見るに、推しがいればその成長を追うことができ、さぞ楽しいことだろうと思ったが、箱推しでも楽しそうだなと考えていた。

しかし、いつのまにか、あるメンバーばかりに目が行くことに気づいた。それが譜久村聖さんだった。

抜群の存在感というよりは、大サビなど大事な場面で、誰もが「譜久村さんなら大丈夫」と思えるような、頼れるパフォーマンスをもって、グループを支える大黒柱のような存在だと思った。(すっかり沼にハマりつつある今ではもう、自分のなかではこれでもかというほど存在感が抜きん出ているが…)

動画で譜久村さんの存在を探すようになって、ますますハロプロにハマっていった。2年前のわたしはおそらく、2年後に自分が女性アイドルを好きになり、ファンクラブに入会し、来週にはついにそのアイドルの姿を目にする予定だなんてきっと考えもしないだろう。(超楽しみです)

 

そして先日、譜久村さんの25歳のバースデーイベント、そしてそのグッズが発表された。

そこにはピンクの衣装で、両手でハートを作った譜久村さんがいた。とてもかわいくて、スマートフォン越しにその姿に見惚れていた。

そのとき、私は突然、なぜ長年女性アイドルを苦手に感じていたのかを思い出した。

小学生の頃、同級生に「ぶりっ子」という言葉を突然ぶつけられた。なぜそう言われたのかわからず困惑し、言葉の意味を調べて傷ついた私は、お気に入りだった白地にピンクのリボンがついたニットを着るのをやめた。わざと男言葉を多用するようになった。そして…自分が「着られなくなった」かわいい洋服を着ている同級生を、心のなかでこっそり妬むようになった。

ほんとうにすきなら、つらぬけばいいじゃないか。 

今ならそう思う。でも私は今よりずっと弱く、無力だった。ぶりっ子として認識され、のけ者にされるのが嫌だった。ただでさえ、転校生として季節外れの時期にやって来た私はクラスの中で浮いていたし仲間外れにされかけていたから。

小さい頃自分にかけた、その「呪い」は、たぶん大人になっても私を縛っていたのだ。

かわいいものや人を、素直にかわいいと言えない。身につけることができない。女子力なんていらない、かわいい自分を演出していると誰にも悟られたくない。  

そんな気持ちがずっと胸にあった。

けれど、今はどうだろう?画面越しに譜久村さんを見つめながら考えた。

今の私は、譜久村さんはめちゃくちゃかわいいと、全世界にだって叫べる。

譜久村さんが「かわいくなろう」と日々努力している姿に感化され、自分もメイクやファッションに多少気を遣うようになり、そんな新しい自分も少しずつ好きになっている。誰かにかわいこぶっているといわれても、「譜久村さんのようにかわいくなりたいからです」と、はっきり答えられる自信だってある。

推しとの出会いを通して、自分が変わり始めたことを、嬉しく思う。

 

譜久村さんのことを私はまだ全然知らない。

だけど私は日々譜久村さんの姿を見て、新しい一面を知るたびにきっとまた好きになるだろう。その過程を生きる今、推しlifeは最高と心から思う。

だから、ぶりっ子だと言われ傷ついていたあの頃の私に、この曲を送りたい。

青春Night!!

https://youtu.be/SKgFDdDyKLE

 

社会人1ヶ月

今から書くことは、初心である。初心に帰る、の初心。

この4月、わたしは社会人となった。

この人生、これから先なにがあるかはさっぱり分からないが、それでも踏み出した労働者としての初めての一歩は、これからの日々に続いていくものだから。

だから、感じたことを記録しておく。

・働くって凄い大変

遅刻せず同じ時間に出勤し、責任を負い、心身を使い、労働をまっとうする。そんな日々を毎日続けていくなんて気が遠くなるほど大変だ。そんな日々をずっと続けて家族を支えている、周りの大人や両親の凄さに気付かされた

・人からエネルギーを取られることもあるが、人からもらうエネルギーの力は泉

私の職場はいわゆるサービス業というものなので、直接人と密に関わることで成り立っている。かかわる人には本当にたくさんの人がいて、大変な思いもある。けれど、人と関わることはエネルギーになる。感謝されるとか、褒められるとか、そういうことだけじゃなくて、その人に時間を使いその人に心身を向けているその瞬間、無我夢中になれるのだ。そしてその感覚が、疲れた身体を次へと押し出してくれる。未熟で出来ないことばかりだし、不甲斐ないことも多いけど、その感覚を大切に、昨日より今日今日より明日のマインドで進みたい。

・環境で人は変わる

自慢じゃないがひと月前まで夜型人間だった私。しかし働くとなるとそうはいかない。気づけば睡眠時間を基準に時間の使い方を考えるようになり、8時間睡眠を死守するべく奮闘するようになった。そして、何気なく買っていたスナック菓子やら肉やらを健康のために見直し、食べるものに気を遣うようになった。ここまで変わるのかと自分でも驚いている。夜のたゆたいも好きだが、朝のまどろみも嫌いじゃない。

 

とりあえずこんな感じだ。

水のように形を変えてしなやかに生きたい。…なかなかできないけど!

短歌さん3月

正しくて安全な場所にいるわたし暴れるイヤホン外せないけど

個性とは?知ってるけれど答えない自分の色は自分で決める

君のこと思い出すのは南海電車ラインの名前がそれだったから

オムライス食べていたっけ何だっけ別れ話をしてた日のこと

引き返し買いに走ったBIG ISSUEおじさんの声いきいきと

あたらしさ僕なら捨てると君が言い私は拾うと投げ入れた声

髪の毛を波形に巻くそれだけで可愛くなれると思ってはない

のんびりと動く電車の窓ガラス睨め付けるのは私の瞳

永遠が近くまで来た噂聞き観に行ったきみとはもう別れる

突然に来るもんだよね怒りはね不満なことも判らずに

怖いのは幽霊怪談暗い部屋そんなものよりわたしの血液

マストバイ間違い無しと謳うけどそれがお洒落と誰が決めたの

わからないこのラメの色は正しいか?さも当たり前に塗る瞼

雑でいいほんとにもっと雑でいい馬鹿丁寧に電車は喋る

寝てる人見てもっと眠くなる12時前の地下鉄の風

映画館雨が降る日は薄い影ゆらゆら揺れて誰でもない君

 

 

元浪人生の国家試験体験記

私は元浪人生である。

浪人に至ったことはあまり後悔していないが、もし知り合いが浪人しようとしていたら、「現役よりかなり大変だし、想像の100倍以上はしんどい。でもほんとに目指したいならやればいい」と伝える。

わたしは予備校の壁に貼ってあった習字の言葉を度々思い出す。

浪人は人生の肥やし

それを見たのは現役生のときで、「ふーん。ま、でも私は浪人なんかしないけど」と思っていた。若干見下してすらいた。そのわずか2年後に、絶望とともに浪人を選ぶことになるなんてつゆほども思わずに。

浪人時代に辛かったことはたくさんあるし、何より浪人したにも関わらず第一志望の学部に結局入れなかった。しかし、浪人生の経験を通して得たものもあったので、結果的に自分の人生にはプラスだと思っていた。

…国家試験という恐ろしい奴らがやって来るまでは。

はじめに言っておくが、国家試験を受ける全ての元浪人生がこんな思いをするわけではない。一度受験で苦しい思いをした分、国試のずっと前から抜かりなく準備を進め、余裕を持ってゴール!というケースも多いだろう。

しかし私はそうではなかった。

優秀な友人たちの、「えっわたし全然勉強してないよっ。まだまだこれからだよっ」という甘い言葉をまんまと信じ込み、「そうだよねーまだこれからだよね」と言っていたら、年末の模試でコテンパンにされた。文字通りコテンパン、気持ちいいくらいに酷いものだった。

彼らは、いつだって、彼らの基準で「勉強してないよっ」と言ってのける。彼らに悪気があるわけではない。しかし、彼らはいつだって、自分の想像の数倍は、勉強しているものなのだ…あなおそろしや。こういう裏切りは小学生のころから日常茶飯事だったのに、なぜ今まで忘れていたのか。しかしもう遅い。友人たちは、もう自分より1コース早く走っている。

さっきまで同じ場所にいたのに、なぜ?

もう、追いつけない!時間がない!!

そのとき、ついに閉じ込めていたはずの浪人時代の記憶の蓋が開いてしまった。

何度もやっても間違える問題、

答えを覚えてしまったことに気づかずわかった気になっていた問題、

何回読んでも基礎問題をやっても理解できない、異国の言葉のような問題の数々…

それらに追い詰められ、不安をかき消せないまあまま挑んだ試験で頭に浮かぶ絶望の二文字。ざっくりと心の血が流れ、自尊心の傷ついた音がする。

あんなに時間があったのに、私は何をしていたんだと、叫び泣いた、結果発表の夜。

どんなに願っても戻せない時間!

…浪人生というのは、どんな理由であれ誰しも、ふるいにかけられて振り落とされる痛みを知っている。だからこそ、人の痛みがわかるとも言えるが、逆に言えば、痛みにかなり敏感だと思う。もう傷つきたくないから。あんなに苦しい思い、もうしたくないから。

模試の結果を見た私は慌てた。

二の舞にならないようにと、ひたすら問題を解き続けた。注意したのは「わかった気にならないこと」「体を動かす、声に出す、イラストにする、ゴロにするなど、記憶に残るきっかけを何個も作る」。浪人、現役生のときは、基本的な考え方が身についていないのに、焦って標準や応用問題に手を出した結果、なんとなくでしか理解できておらず本番で失敗するという事態が多発したからだ。

 

国家試験が近づくにつれ、情緒不安定さが増していった。悪い想像ばかりを重ね、過去の自分を詰った。何を見ても泣いた。NHKみんなのうたを聞いて泣き、何気ない日常のラジオを聞いて泣き、アイドルの動画を見て泣き、音楽を聴き、ひたすら泣いた。自分でもおかしいと分かっていたが、涙が勝手に出て来る。泣いたからといって問題は解けないのだが…

誰だって そんなつもりで泣くわけじゃないよね(宇多田ヒカル/time will tell)

宇多田ヒカルのこの歌にはとても助けられた。直接的に大丈夫だよとは言ってないのに、その曲は「安心感」そのものだった。過去の失敗を繰り返し失敗する自分の映像が脳内で連続再生されても、この曲があったからどうにか夜を越えられたと思っている。

試験にしろ就活にしろ、自分のことを全く知らない他者にいきなり評価され、弾かれ、必要不必要を下されることは、とても苦しい。迫り来るものから逃げられない恐怖、周りの期待を裏切ってしまったらどうしようという恐怖。そこまで苦しい思いをして乗り越えなきゃならない理由ってなんなんだと、何度も考えては、やめた。考えても仕方がないからだ、今できる自分の最善は、問題を解くこと。

渦中にいるときは気づかなかったが、たぶん試験はひとつの方法のようなものに過ぎない。

競争や勝利が全てではないけれど、苦しい瞬間や過去を精神的に乗り越え、「今」で塗り替えなければならない瞬間が、私たちにはきっとある。その方法の一つとして、試験や就活があるだけなのだと。

 

もし浪人した過去がなければ、おそらく国家試験にここまで苦しむことはなかっただろうと思う。振り落とされた記憶が蘇る度に、涙が溢れて困った。そのピークは試験前日の夜で、私はずっと泣いていた。しかし、親からの言葉で落ち着いた。

「どんな結果でも、私はあなたをバカにしたりしない。親を信じなさい。それに、命を取られるわけじゃないんだから」

そう言われて初めて、自分は「失敗」を「死」と置き換えてしまっていたのだと気づいた。失敗したからと言って死ぬわけではないし、試験は長い人生の通過点に過ぎない。

そして、あなたをバカにしないという言葉は、傷ついた自尊心を満たしてくれた。

何があっても、自分は自分として生きていいのだと。

 

すべての試練は、自分に重荷を課すことで、さらに自分を引き伸ばそうとする過程。できるなら重荷なんかいらないけれど、その重荷をまず持ち上げてみなければ、新たな自分には出会えない。重過ぎて振り落としたとしても、また拾えばいい。たとえその重荷を拾えなくても、違う試練から逃れられるわけでもない。

だけど変わらないのは、自分はいつも自分として存在していいのだということ。

 

…本番はただ無我夢中だった。何はともあれ、わたしの国家試験は終了した。もう二度とこんな試験やら試練やらは経験したくないと思うが、おそらくたくさんの数多の試練が私には待ち受けているのだろう。けれど、受験失敗、浪人を経て、国家試験という山に挑んだことは、きっと自分の人生の「肥やし」になってくれるに違いない。

苦しい日々のなかで私を支えてくれたラジオ(主にTBSラジオの「生活は踊る」、NHKラジオ深夜便」)、たくさんの音楽、そして両親に心からの感謝を込めて。

#国家試験

#浪人