親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

異国が自国に変わった瞬間

こんにちは!お久しぶりです😊

スリランカから帰国して、早くも4週間が経ちました。スリランカから帰国してまず感じたのは「なんか異国に来たみたい」。

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(スリランカを発つ前に空港で。)

というのは、スリランカで過ごすうちにいつのまにか「自国」が日本ではなく、スリランカに変わっていたからです。当たり前のように日本人と日本語を話し、だいたい家と学校とバイト先を往復する日々。でも、スリランカでの6週間、一緒に過ごす日本人はいない。日本語は通じない。毎日違う場所に行く。

(詳しくは前のブログを読んでいただけたら分かるかと思います)

その中で、英語での会話を通して、スリランカ人の親友ができ、現地の暮らしに慣れていく。スリランカで生きていることが当たり前になるにつれて、不便・便利、快適・不快などの境目がなくなっていきました。とはいえ、気持ちが落ち込んだときは、つい日本との違いを嘆きそうになりました。(特に水回り…)

でも、いま私が生きる居場所はスリランカだと言い聞かせているうちに、自分の心に余裕が生まれました。

個人的に一番印象に残っているのは、同じプロジェクトに参加していたある国の女の子が、お互いの些細な誤解からスリランカ人と揉めた時。その女の子がスリランカ人を傷つけるような言葉を言ったのを聞き、私は彼女に本気で怒り、それは間違っているとはっきり伝えました。しばらく会話もする気になれなかったほどに怒っていました。笑

それは、スリランカ人の優しさを知っていたからです。どこの国に行っても優しい人はいるよ、珍しいことじゃないよと言われたら確かにそうかもしれないけれど、異国の地では、誰かの優しさに助けられなければ克服できない問題もたくさんあります。バス停が分からなくて困っていたら英語で一所懸命に教えてくれた人。渋滞でたくさんのドライバーに断られる中、トゥクトゥク(スリランカのタクシー)に乗せてくれた人。病院に取材したいと言ったら通訳を快く引き受けてくれた友人たち。

無意識のうちに、異国が自国に変わっていたことを認識させられる、大きな出来事でした。

 

帰国当初は、生活の中の些細な場面で毎日驚いてばかり。

一つ例に取ってみると、バスに乗ったら

「静かすぎる!

席が少なすぎる!

お尻が痛くない!ガタガタしない!

淋しい!!」

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(スリランカでは、多くのバス車内でスリランカの音楽がスピーカーから大音量で流れています。さらに道路では車のクラクションが鳴りまくり、バスの運転手さんもよくクラクションを鳴らすため賑やかな車内です。

バス内の座席は2人がけのもののみで、シートは日本のものよりはだいぶ固いです。走行中の揺れが酷い道もたくさんあります…)

他にも色々と驚くことはありました。しかし。

「やっぱり日本最高〜」

とは全く感じませんでした。いくら快適な環境であっても、今度は日本とスリランカを比べて落ち込んでしまう。スリランカにいた時とは逆ですね。笑

自国のように感じた国のことは、なかなか心から抜けないようです。

渡航以前の暮らしに戻っても、スリランカロスから抜けることなく、いつも心の中にスリランカへの想いを持っている。そんな日々です。

いわばスリランカは私にとって第二の故郷です🇱🇰

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(スリランカの美しい海)

そしてこれからも、この気持ちと一緒に生きていきたいなと思います。この気持ちを、どこにどう繋げていくかについての話は、また後日。

ではまた更新します。最後まで読んでくださり、ありがとうございました🙇‍♀️