親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

音を聞かせて

「もしもあなたの世界が閉じる瞬間に、聞きたい音を選べるとしたら?」
家族の声、大好きな曲のフレーズ。故郷の電車で聞く車内アナウンス、もしかしたら、パンが焼けるときの「チン!」という音。私たちの日常をかたちづくっている色々な音の中から何か一つを選ぶのは難しい。でも、きっと特別なものでなくていい。あまりに特別すぎるもの、たとえば、最後に聞くのが自分のことを呼び止める誰かの悲痛な泣き声だったりしたら、未練が残ってしまいそうだから。
そして私の答えはもう決まっている。猫が喉を鳴らすときのぐるぐる、という音だ。猫がなぜそんな音を出すのか完全には解明されていないが、一般的にはリラックスしたときや甘えているときなどに鳴くといわれている。個人差(個猫差?)もあるが、心を開いてくれた後でなければ、猫は人間にその音を聞かせてくれない気がする。心を開くといっても、猫にしてみれば「こいつは危ないヤツじゃないらしい。」と認識した程度のことで、たぶんそこに大した感情はない。猫は気まぐれ。自由で、誰にも支配されず、誰の命令も聞かない。でも猫には不思議なぬくもりがある。たとえばあなたが悲しい時、しっぽをふってやってきて涙をなめてくれたりはしないけれど、きっと猫はいつの間にかあなたのそばに居て、ただ静かに眠るだろう。その寝息や寝顔を見つめていると、悲しさがすうっと風のように溶けて消えてしまう。たとえばあなたがさみしい時、少しだけ猫のおなかに潜らせてもらうといい。きっとそのお日様のにおいが優しくあなたを包み込むだろう。そして、彼らが鳴らすぐるぐるという音。その音の中には、深い音、低い音、重い音、浅い音、様々な音が混ざり合っている。目を閉じる。世界があなたと猫の二人きりになる。押しては返す波のように静かに続いてゆく音が、やがて一つの大きなまとまりになって、心に流れ込んでくる。海を思い出す。それは私たちの生の源で、きっといつか還っていく場所。音はつづく。命はつづく。猫の鳴らす音が終わっても、その空間に残る余韻は消えずにそこにあり、柔らかな空気が流れる。
「疲れた。」が口癖になったのは、いつからだろう。目の前の暮らしを何とかこなし、エネルギーを消費し、あわただしい日常に流され、いつも何かに疲れている。でも、猫のぬくもりに触れ、その音を聴くとき、いつも私は生きていることの不思議さで胸がいっぱいになる。生きている、この命のすべては、やがて一つになる。日々を流れる只中で、何を見つけ、何にあこがれ、何を愛せるのだろうか。
後悔しない生き方なんてないのだろう。それでも私は世界が閉じる瞬間まで、彼らの鳴らす音を聴きながら、その遙かなる時空の中で、今を生きていることを、大切に思い続けていきたいと思うのだった。