親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

メッセージ

わたしは夢のなかで、誰かによく電話する。気がする。

電話の相手は、わたしのすべてを知っている人。わたしが人間ではなかった時代のことも、わたしが昨日誰かにかけてあげられなかった言葉も、この間のバイトの失敗も、あの子に投げられた言葉の真意もすべて。わたしだけをみてきた人。

起きたら内容はすべて忘れてしまっている。だけどその夢を見た日の朝は涙が出る。訳もなく、寂しくなる。寂しいはずなのに嬉しくもある。窓から覗く太陽の光がいつもよりくっきりして、きょうも自分は生きているんだって思うんだ。誰かにありがとうとつぶやいて、ベッドから降りてグラノーラを食べ始める頃には、わたしの頭の中はだんだん今日の予定のことで埋め尽くされてしまう。そして夢の余韻はあっという間に醒めてしまうんだ。

わたしが電話をかける夢の人。その人が本当にいるのかいないのかなんて関係ない。

きっとわたしの人生を見てる人が、何かがあるんだと、その夢はわたしに教えてくれる。まもられてるとか、監視されてるとかではなく、ただ「みている」。わたしが世界の一部で、そしてわたしが愛するすべての人や、わたしが出会ったことのない誰かが、自分と同じように世界の一部であることを、しずかに知る。

生きてる死んでる、その境目の曖昧さに日々ゾッとして同時に感動して、わたしはよく自分の爪を見つめる。このからだはいつ自分に与えられて、どこから来たのかな。

生きることに意味があるかないかなんて、わからない。ただ生まれてきた。そしてきっと誰かが何かが、いつでもきっとあなたをみている。

そのことがなぜか、涙が出るほどうれしい。

うまく言葉にできないけれど、それでもいい。

あなたが、

生まれてきてくれて、ありがとう。

あなたのいる世界に、

ありがとう。