親愛なる誰かさんへ。

日常、雑念、世界。

人とひと

人間関係って、難しいよね。

デパートの中のカフェに入って、店のざわめきに耳をすませていると必ずといっていいほど、どこからかこの言葉が聞こえてくる。

うん…難しいよね。

心のなかで、小さく頷く。

よほど前世の記憶が残っている人なら別だが、ほとんどこの世の全員が、人生の初心者だ。そして、みんな、自分しか生きたことがない。

だから、自分と全然違う価値観を持っている人がいることや、相容れない人がいることを「知って」はいるが、「分かる」ことはできない。他の人として生きない限り、自分以外の誰かがどう考えてどう生きてきたかなんて、わからないのだ。

だから、衝突が起きる。

「なんで私の気持ちわかってくれないの?なんでそんなことを言うの?そんなの自分勝手だよ。」

自分勝手ってなに?そりゃしょうがないさ!誰だって四六時中自分の人生を生きてるんだから、他の人のことなんてわからないだろ!

…とはっきり言い返したところで、堂々巡りなだけである。

近づきすぎたらお互いの持つ個性、ひいては毒にやられて痛い。

しかし、誰とも近づかずに生きることはできない。誰とも付き合わない、と決め込んでも、ひょいとどこかで誰かに出会ってしまうんだ。うーん。

ニンゲンっていいなーという歌があるが、昔から私は、「いやいや君たちも大変だろうけど、ニンゲンも大変だよ。なってみたらわかるよ。」と思っていた。

ただ。わたしたちは、お互いに「わからない」もの同士だからこそ、わからないものをなんとか分かろうとして、歩み寄ろうとすることができるんだな、とも思う。

これが、みんながみんな同じ考えで、クローン的だったら、人付き合いは楽かもしれないが、話は全然弾まないだろう。「えーウソ⁈それはないよ〜」「うそ、これ普通でしょ⁈」「違うって!アハハ」…みたいな会話がなければ、会話は全然面白くないと思う。

「分かり合えないことが、私たちを近くする」

というのが、私が最近よく思っていることである。